モデルで俳優の宮沢氷魚さん。

「JR SKI SKI」のCMで、桜井日奈子さんの相手役の男子を演じたことでも知られています。

そのエキゾチックな風貌から、「ハーフかクォーターではないか」と話題になっています

明るい髪色や、色素の薄い目の色もハーフ・クォーターであるからなのか、本物なのかという噂も浮上しています。

宮沢氷魚さんのハーフ・クォーター説や目の色の真相についてお伝えしていきます!

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宮沢氷魚はハーフやクォーター説の真相?

184㎝という高身長で、独特な存在感を放つ宮沢氷魚さんは、

ハーフかクォーターでは?

と噂になっています。

実際のところどうなのか、氷魚さんのご両親について調査してみました。

宮沢氷魚さんの父親は、

元THE BOOMのボーカル・宮沢和史

さんです。

あの「島唄」・「風になりたい」などを力強く歌い上げ、一世を風靡した有名なシンガーソングライターです。

氷魚さんのお顔は若い頃のお父さんと瓜二つであり、「宮沢和史」を知る人には一目瞭然であるほどにそっくりなのです。

ちなみに父親・和史さんは沖縄出身と誤解されることも多いですが、実際は山梨県出身

日本人

であります。

そして宮沢氷魚さんの母親は、

タレント・パーソナリティーの光岡ディオン

さんです。

母親の光岡ディオンさんは

日本人とアメリカ人のハーフ

です。

氷魚さんは母親のルーツである

アメリカ・カルフォルニア州サンフランシスコ

生まれ、日本の東京で育ちました

つまり氷魚さんは日本人の父親と、アメリカと日本のハーフである母親を持つ、


クォーター

であるいうことになります。

宮沢氷魚さんの外見が、どこか異国風な雰囲気であるのも頷けますね。

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宮沢氷魚の目の色は本物?カラコン?

宮沢氷魚さんの目は色素が薄く、透明感のあるとても綺麗な色をしています。

一見カラコンかと思う人もいますが、

本物の目

です。

目の色が薄いのは氷魚さんがアメリカにルーツを持つ

クォーター

であるからという理由が考えられますが、本当はどうなのでしょうか。

目の色が変わるのはメラニン色素の割合によるものであり、遺伝子の様々な要素が絡み合って色が決まるといわれています。

クォーターである氷魚さんの目の色は父親と母親、どちらから受け継がれたのでしょうか。

こちらの写真から、アメリカと日本のハーフである母親・光岡ディオンさんは目の色

であることが見受けられます。

ちなみに日本人の目の色は黒であると勘違いされていることが多いですが、実際は大半がブラウン系であるといいます。

ブラウン系は世界でも一番の割合を占めており、本当のブラックアイズの人は中央の瞳孔の位置がわからないほど黒色になるのだとか。

光岡ディオンさんの目の色は完全な「ブラックアイズ」であるかは確認できませんが、色素が濃く「ダークブラウン」か「ブラック」であることが推測できます。

氷魚さんの色素の薄い目の色はハーフである母親からの遺伝かと思われがちですが、実際は違っていたようです。

こちらは氷魚さんと父親・和史さんの目の色を比較したファンの方のツイートです。

こうして見ると父と息子、本当にそっくりですね!

そして、
氷魚さんの色素の薄い目色は父親・和史さんから受け継がれたもの
であるということがハッキリと分かります。

氷魚さんの目の色は、

灰色と茶色のミックス

であり、日本人には珍しい

ヘーゼルアイズ

である可能性が高いです。

宮沢氷魚の髪の毛の色は地毛!

クォーターである宮沢氷魚さんの髪色は、

明るい薄茶色

です。

よく染めていると勘違いされますが、

地毛

であり、生まれつきのものであります。

生まれた当初はもっと金髪に近い明るい色であったのだとか。

成長するにつれて徐々に暗くなっていき、現在の髪色になりました。

こういった髪色の変化は世界中でよく見られるケースであるといいます。

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宮沢氷魚の家族構成は?

宮沢氷魚さんには

2歳年下の弟・海実(かいみ)

さんと、

4歳年下の妹・流歌(るか)

さんがいます。

氷魚さんは

5人家族の長男

です。

弟妹さんのお名前も、父親・和史さんの釣り好き・沖縄好きが関係しています。

氷魚・海実・流歌

と、3人とも見事に

魚・海・沖縄

を連想させるお名前になっているのです。

ちなみに、弟さんも妹さんも

一般人

であり、お顔などは公表されていません。

ただ、お二人とも

クォーター

であることは分かっているので、氷魚さんと同じくエキゾチックで素敵な風貌であることが考えられますね。

宮沢氷魚のデビューのきっかけは?

宮沢氷魚さんが芸能界に興味を抱き始めたのは

「中学生の頃」

でした。

そのきっかけは

父親・和史さんのライブを観たこと

だったといいます。

芸能界を目指したきっかけについて、インタビューで明かしていました。

「子供のときは、仕事で両親が家にないことが多かったので、それがすごく嫌だったんです。だから、絶対に芸能の仕事なんてしたくないって思っていたんですが、中学・高校くらいから、だんだん人前に立つ仕事ってすごいなって思い始めて。」

それまで芸能界に対してはマイナスの印象を抱いていたという氷魚さん。

父親・和史さんのライブを観たときのことを以下のように語っています。

「たった2,3時間なのに何千人もの人を同時に感動させているのを目の前で見たときに、何らかのかたちで僕もそういうことしたいなって。」

父親・宮沢和史さんの存在が、氷魚さんの進む道に大きな影響を与えたのですね。

その後、宮沢氷魚さんは2015年の21歳のときに

第30回『MEN’S NON-NO』専属モデルオーディション・グランプリ

を獲得し、モデルデビューを果たしました。

「MEN’SNON-NO」専属モデルといえば

「人気俳優の登竜門」

ともいわれており歴代モデルには阿部寛、谷原章介、大沢たかお、斎藤工、東出昌大といった、そうそうたる顔ぶれが輩出されています。

2017年にはドラマ「コウノドリ」で念願だった俳優デビューを果たしました。

デビューから順調にキャリアを積んでいっている氷魚さんは、いつか父子での共演を夢にみていると語っています。

「『そういえば親子だったね』と、世間に(2世であることを)忘れられた時に初めて共演したい。

すぐじゃないけど、いつかはそういう形になれればいいな。」

夢の父子共演をぜひとも実現させてもらいたいですね!

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宮沢氷魚は歌は苦手?

父親がシンガーソングライターであることから、音楽への関心は少なからずあった宮沢氷魚さんですが、芸能の仕事としては選ばなかったといいます。

氷魚さんはインタビューで以下のように語っています。

「今でもギターと三味線は少し弾くんですけど、音楽は、違うかなって。趣味でやるのはいいけど、ずっと続けたいとは思っていなかったので、音楽という選択肢は最初からなかったです。芸能の仕事をするなら、音楽とは違うジャンルでと思っていました。」

また、自身の歌については

「実はあまり上手くないんですよ(笑)。友達に父親の歌をカラオケで入れられてもイマイチで。最終的には『ごめんね』と言われてマイクを回収されるんです(笑)。」

と明かしていました。

音域が狭いためにサビの高音が全く出ず、

『島唄』はAメロまでしか声が出ない

のだとか。それでも、

「何にでもトライはしてみたいので、オファーが来たら考えます。」

とも語っており、チャレンジ精神を覗かせていました。

氷魚さんの歌声、ぜひ一度聴いてみたいですね!

氷魚さんは父親・和史さんの影響から

ギターと三味線

の楽器をやっていました。

先述したようにプロを目指す情熱は持たなかったものの、現在も趣味として続けているといいます。

上の画像は氷魚さんのギター・三味線のコレクションです。

ツイッターのオフィシャルアカウントでは度々、ギターと三味線の演奏動画を公開されています。

気になる方はぜひチェックしてみてください!

まとめ

以上、宮沢氷魚さんのハーフ・クォーター説の真相や、ご家族の情報を含んだ経歴などをお伝えしてきました!

宮沢氷魚さんはハーフではなく、アメリカにルーツをもつ「クォーター」でした。

明るい髪色も生まれつきのものであり、目の色は父親・和史さんから受け継がれたものであることが判明しました。

宮沢氷魚さんは弟・妹さんを持つ5人家族の長男でありました。

子供たち全員のお名前には、父親・和史さんの強い思いがこめられていて、素敵でしたね。

また、芸能界デビューには父親・和史さんの存在がとても大きかったことを明かしていました。

いつか父子の共演を見られることを期待したいですね。

宮沢氷魚さんのこれからのご活躍を応援しています!

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